平和のつくり方

「現代の戦争の根本的な原因は何か?」(山崎正和)から
シリーズ<現在>への問い 第1部
毎日新聞10月7日朝刊

要約:
現代は人類史上初めて文明が一つになった時代である。「近代文明」が今や世界のデファクト・スタンダード(事実上の標準)になった。
数字、人類の視覚や聴覚、政治思想などの文明の世界化は、数百年の底流が今にわかに地表に現れたものである。
しかし、変化が静かで膨大だったため、それに立ち遅れた地域や社会集団も残った。変化が合理的で反論が難しく、利益にも適っているほど、それが本来の自分のものではないという一種の鬱屈した感情を伴った。その「不機嫌」な気分にすり替わる感情として多くの後発社会の指導者が思いついたのが「民族主義」である。
文化と習慣を基盤とする情緒的な結束を求めた民族主義は、じつは二つの点で本質的に欺瞞の思想である。
一つは文化的な習慣は個人のものであり、それが民族にまで拡大されるときには、必ず政治的な強制が伴うという点。
もう一つは、民族主義が主張する抑圧からの解放は、民族の概念なしに実現できることばかりであるという点である。
日本人としてはみずから民族主義的な言動を慎むのはもちろん、国際政治のすべての場で反民族主義の主張を展開すべきである。近代世界文明が歴史の合理的な趨勢の産物であり、その受容が誇りある選択であることを世界に向けて説明すべきであろう。

※入試に出てきそうな文章なので、思わず要約してしまいました。
2205文字の文章を665文字にまとめました。

考察:
いわゆる商業的なグローバル・スタンダードとは別に、数字や視覚・聴覚、政治的概念など、思想の根っこを支える「文明」が世界的に共通の意識をもつようになった。しかし、その変化に乗り遅れた地域や社会が、「スタンダード」といわれる概念と、自分たち本来の身にしみついた文明とのギャップに悩まされ、社会を統一するためのものとして「民族主義」を思いついた、というのが、「民族主義」発生までの過程。
しかしその「民族主義」は欺瞞の思想であり、日本としては近代世界文明を選択すべきだというのが、後半の主張。
しかし、それでは「不機嫌」は解消されないのではないだろうか?
世界文明にあてはめずとも、地域社会でもどこにでもありそうな図式だ。多様な価値観の中で、大きくて多いものが「デファクト・スタンダード」となりその流れに乗り遅れたものは、「不機嫌」な気分を抱えながら、相反する形で「個」であることにしがみつく。山崎氏は「個」の文化・習慣が大集団に共有されることはありえない、と書いているけれど、それならば「不機嫌」な気分
はいつまでも解消されず、くすぶり続けることになってしまうのではないか?
デファクト・スタンダードにすべてを包括するのではなく、また、個人の問題に帰すのでもなく、多様であることをそのまま認めるような世界観はうまれないものだろうか。

[`evernote` not found]

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。